軽快じゃないですよ!向いてないですね。やっぱり難しいですよ、MCというのは。TVだと様々なことをやらなくてはならないので、音楽に特化した話題だけというわけにもいかないんですが、この番組に関しては、スタッフが“音楽班”として「本当にやりたかった」ということをたくさん出してくれるので。うまくやってくれていますね。
初めのほうがラクでしたね、怖いもの知らずというか。ラジオ番組もずっとやってきたのでMCもできるかなと思っていましたけど、回を重ねるごとにMCの難しさを感じます。あとは体調管理とかね。僕、すぐにものもらいができて声がかれるんですけど、本当にそれとの戦いの1年半だったんで。タモリさんすごいなぁと(笑)。でも本当にこうした番組を作ってくださったスタッフを誇りに思います。
手前味噌ですが、歌詩として優れているのはもちろん、吉田の紡いだ言葉というのはすごく力があって。読む人の心をリリースする力とか感情を共有させる力がすごいんです。だからこそ詩集として、文字で書籍にしたかったんですよね。これに限らず、僕らの後半10年の仕事っていうのは、ドリカムっていう垢をいかに取るかということだったんです、僕らの音楽や作品から。ドリカムといえば「『未来予想図』や『LOVE LOVE LOVE』でしょ」とか「『うれしい!たのしい!大好き!』みたいなポジティヴなやつね」なんて言われることもあるんですけど、実はまったくそんなことはなくて。特に吉田は人生いろんなことを重ねていますので、皆さんと共有してもらえる、あるいは皆さんを手助けできるような言葉を紡いでいるんです。その言葉を吉田自身からも引っぺがして、文字として、デジタルではない、読み込み機材のいらない、“書籍”というアーカイヴで落とし込みたかったんです。詩も歌の詩ととらえるのではなく、たとえば聖書のマタイ何章みたいにピックアップしてほしい。それは一言だったり、二行だったり。そうした意味でも書籍にしたかったし、それを編纂するのも僕ではなく、豊﨑(由美)さんのような素晴らしい書評家の方に編纂してもらいたかったんです。
吉田がなぜ長い間それを拒絶していたかというと、歌うための歌詩であり、歌うための楽曲であり、楽曲のための歌詩であるから、それを文字にするのはおかしいという考え方だったんですけど。でも万葉集を読んでみても、あらゆる階級の人がうたっていて。それにはメロディがのっていたかもしれないし、ゲームの中でうたわれた歌で一つのしばりなんかもあったかもしれないし。そう考えると、吉田はポップスという縛りの中で、また自分が歌うという縛りの中で書いた詩だとしても、(万葉集と同じく)文字にしたときにそこにも意味があるんじゃないかと思うんですよね。今までライヴのグッズとして挑戦したことはあったんですけど、今回は新潮社さんから正式な書籍として販売したわけです。楽曲を聴いたことのない方にも是非読んで欲しいなと思っている作品です。
ライヴはファンの皆さんにとっても、僕たちにとっても、とても大切なものなので常に4、5年先までは考えるんですけど。ま、ドリカム本体はいきあたりばったりかな、と。吉田が25年を過ぎて、「あとはいい意味で好きなようにやっていきたい」と言っているので。これまでは僕がビジネス的にリードしてきたところがあったんですけど、これからは吉田がやりたいということを実現していきたいなと。吉田のやりたいことを僕やスタッフが膨らませて、吉田が想像していなかったことをやるっていうのも楽しいな、と。これからはきっとそうなっていくと思います。
10年間くらいレコーディングをしていたロンドンは、いろんなところに小さな公園があるんですけど、週末になると移動遊園地が現れるんですよ。小さなメリーゴーランドなんかがあって。それがすごく素敵だったので、そういうものを音楽のイベントにしたいよねと。ある日突然現れて、とっても楽しくて夢のような世界で。でも週末が明けると消えてしまうような。そうした意味で移動遊園地とつけて、さらに史上最強のというハードルを掲げて、誰も経験したことのないようなものをやろうと1991年に始まったんです。
次にやったのが95年だったからです(笑)。当時は毎年アルバムを出していたんで、毎年のツアーでやれなかった曲もあるし、皆さんが前のアルバムで聴きたい曲などもあるので、だんだんとグレイテストヒッツライヴのような様相を呈してきましたけど。皆さんからリクエストを頂いたりして。
今年は例年のリクエスト投票以上になるんじゃないですかね。今までのワンダーランドは、吉田のさじ加減があって、皆さんのリクエスト曲の中に吉田がこれをみんなに聴かせたいなんてコーナーもあったんですけど。今年はちょっとその色を押さえたい……というと、吉田が文句を言いますけど(笑)。今年はちょっとストレートにベストヒットでいきたいな。この前、ポール・マッカートニーを観て本当にそれでいいと思いました。純粋に皆さんが聴きたいものを正々堂々やることはなんて素晴らしいんだろう、と。
もちろん!機会があるたびに見ていますし、コメントもすべて読んでますよ。というわけで、これから応募していただくあなたの一票は大きく影響します。今回は奇をてらわないようにお願いします(笑)。逆に言うと、初めてドリカムワンダーランドに来る人に楽しんでもらうにはどんな曲が最適かというのを選んでもらうといいかなと思います。ツウはツウな曲を選びがちだと思うんですけど。
それで、裏ドリワンダーランドを始めたんですよ。ツウしか選べない選曲で誰も来ないだろうっていうツアーを(笑)。それがあるから、今回ははっきりとすみ分けて。だから、今回はツウは来なくていいかもしれない、もううんざり(の定番曲ばかり)ですよ。でもね、ツウもアガるんですよ。「『うれしい!たのしい!大好き!』なんて聴き飽きたよ」なんて言っていても、イントロが始まれば「ぎゃーーーー!!」って(笑)。
あれはね、吉田が呼び始めたんでね。僕のベイビーズではないです。吉田もライヴで言ってますもん、「あっしのベイビーズだからね」って。だから僕には関係のない人たちです(笑)。僕はいつもアウェーでやってるんです、ほんとに。
そうです、中村正人のベイビーズはいませんから(笑)。ノーベイビーズノーライフです。
どれも印象に残っていますが、2011年かな。3Dフライトというハリウッドの最新フライング技術を使って、吉田が人類で誰も行ったことのない空間で初めて歌ったんです。宇宙船で宇宙へ行った人は何人もいるし、月へ行った人も何人もいるけど、各スタジアムやドームであそこにいった人は誰もいないですよ(※吉田さんはアリーナ席から最上階のスタンド近くまで秒速10メートル、最も高いところで地上19.4メートルをフライング)。そこまでマイクの電波がとぶのか、モニターできるのか、風速すらもわからなかったし。今はドローンがあるのでシミュレーションもできるでしょうけど、当時は予測もできないですしね。それは彼女しか行ったことのない場所だったので、印象に残っていますね。ワンダーランドは吉田が「飛びたい」っていうのが1991年からの始まりなので。91年はメリーポピンズみたいに、舞台の後ろをワイヤーで行ったり来たりしただけでしたけどね。
飛びたいと言ってますからね。飛ぶんじゃないですか、今年はどんな飛び方をするか、楽しみにしていてくださいね。飛ぶだけじゃなく、必ず吉田はすごいことをやってくれる人なので。あえて吉田が必要なインフラを満たさない条件を与えると、本当にすごいものが出てくるんですよね。それはきっとワンダーランドでも出てくるでしょうし、僕たちはいつも歴史的なものを目指しているので。
たぶん誰も見たことがないような移動遊園地にはなると思いますね。吉田がいつも言う「血沸き肉躍る」というラインはそのままに。演奏と歌、パフォーマンスというものが等しく見えるものにしたいと思いますね。イントロが鳴るたびに失神するような選曲にはしていきたいと思っていますよ。
いや、まだまだですよ。でも、もし死ぬまでに一回見ておきたいって言ってくださるなら、このワンダーランドかも知れないですね。この次のワンダーランド、僕60ですよ、走れないです(笑)。
春夏秋冬やった1999年のワンダーランドはあるんですけど、ほとんどは夏だったので。今度は冬ですね、だから年末のおこづかいの調整をお願いします(笑)。今年は近くのライヴ会場はもちろん、旅を兼ねるのはいかかでしょうか。これを機会に遠出してみようかなんて、家族旅行の計画に入れていただければありがたいですね。
今年は吉田との衝突を避けたい(笑)。ま、吉田と仲良くやっていきたいってことですね。あとはみんな健康で安全で。世界がちょっといろいろ悲しいことが多く、悲しいことが多いのが人類ではあるのですが、少しでも嬉しいことが増えて欲しいなと思いますね。音楽が楽しんで聴ける、そんな環境でありますように。そして今年は吉田生誕50周年!盛大にお祝いしたいなぁと思っています。リリースの方でもワンダーランドイヤーだからこそできることをやりたいなと考えています。楽しみにしていてください。
文:関城玲子/写真:片倉孝