史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2015 開催決定記念!

中村正人さんスペシャルロングインタビュー

2014年にデビュー25周年を迎え、記念シングル『AGAIN』、オリジナルアルバム『ATTACK25』をリリース。全国ツアー「AEON presents 25th Anniversary DREAMS COME TRUE CONCERT TOUR 2014」では全国13都市32公演30万人を動員するなど、25周年を迎えた今もアルバムタイトルにある“ATTACK”の文字通り、攻めの姿勢を貫き精力的な活動を続けるDREAMS COME TRUE。今年は4年に一度の「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2015」が開催決定!ファンが待ちに待った、ドリカムのグレイテストヒッツライヴであるワンダーランドツアー。その開催を記念して、DREAMS COME TRUE 中村正人さんに昨年を振り返りながら、ドリカム25年の軌跡、これからのドリカム、そして2015年のワンダーランドについて、たっぷりと伺いました。

  • 中村正人

つっぱりが消えて素直にありがたいと思えたのは25周年だからこそ

―デビュー25周年を迎えた2014年はどのような年でしたか?

思ったよりも25周年を味わえたかなと思います。実はあんまり「周年」というのは好きじゃないんですけど。20周年よりも15周年よりも10周年よりもしっくりきた気がする。

―それはなぜ?

なんでしょうね。歳とったからじゃないですかね(笑)。20周年の頃なんかは、僕も吉田もつっぱってた部分もあったと思うんです。「20年がなんだ!」みたいなね。25年にもなるとそのつっぱりが消えてきたというか、素直に「ありがたいなぁ」と思うようになりましたね。

―そんな25周年の記念シングル『AGAIN』にはどんなメッセージが込められていますか?

(この曲を日本テレビ系列の)『NEWS ZERO』のテーマソングとして書き下ろしを依頼された時、2014年は世界的なスポーツイベントが目白押しだからスポーツ選手の涙や笑顔がいっぱいあるだろうと話していて。 吉田が歌詩を書くときに(浅田)真央ちゃんの笑顔が浮かんだと。もちろん真央ちゃんのためだけでなく、あらゆるアスリート、有名無名に関係なく、社会人や毎日を生きているすべての人たちに、自分をほめるという意味ではなく「自分を認める」というのはとても大切なことで、そうした自分がいるからこそ、今の自分があるのだということを吉田は伝えたかったのだと思います。

攻める姿勢をくずさない、その決意を込めた25周年のATTACK

  • ATTACK25
  • ATTACK25PHOTO:TEPPEI

―続いて、アルバム『ATTACK25』をリリース。今回の制作はニューヨークで行ったそうですね。

新曲の8曲はニューヨークで、残りの8曲は東京でやってたんですけど。ニューヨークっていうのは、すごく集中力を高めるというか。オリジナルアルバムの制作はすごく集中力が必要なので、ニューヨークという制作するには最高の場所へ居を移して、仕上げたかったという感じです。

―25周年にあえて「ATTACK」というタイトルをつけられた理由は。

吉田曰く「せめる姿勢をくずしちゃいけない」というのがありまして。とにかく音楽でチャレンジし続ける、アタックし続けるという気持ちを出したい、と。あとは25周年だから「アタック25でしょ!」と(笑)。かの有名なクイズ番組ですね。もちろん番組には承認を得ましたが、そのままというわけにもいかないので「アタック25(トゥエンティ―ファイヴ)」としました。

―あのアイマスクをしたアタックマンとチャンスウーマンのキャッチ―なビジュアルはどこから?

僕ら50代と40代が前出てもしょうがないし、なんか遊びがあっていいしね。25年も経つとドリカムっていうだけで「えードリカムでしょ」って聴いてくれない人もいるんですよ。そうした先入観なしにおもしろがって聴いて欲しいなと。ドリカムっていう垢を楽曲から外したいという意味で写真を使いたくないという部分もあって、そのついでに面白いことができればいいなと思って。

―アルバムの中で印象的な曲やエピソードはありますか。

既成曲の8曲プラス新曲8曲でいこうと吉田美和が言ったにもかかわらず、吉田がスランプに陥ったってことですかね。やる気バリバリだったんですけど、書く曲書く曲ドリカムらしくないって話になっちゃって。途中で曲を書かなくなってね。

―そんな時中村さんは。

…困りますね(笑)。やるっつったじゃねえかと責めるだけです(笑)。

―25年、そんな感じですか。

そうですね、吉田が好きなようにやってますよ、25年間。もともと、ドリカムで僕の曲が採用になったのも、吉田が疲れ切ってもう曲が書けないといったところから始まったんですよ。それで仕事をもらってるという。ま、今回も仕事もらえてよかったなと(笑)。

―書けない吉田さんを前に中村さんは叱咤激励を?

いやいや、叱咤激励してもね、書かないものは書かないから、僕が時間の無い中で書くしかないですよね。待ってるんですよ、ひたすら。アレンジするほうとしては待つしかないじゃないですか。曲があがる期限を越えて3日くらい経って電話すると「マサくん、曲書いてもいいよ」って始まって。あ、これは絶対書かないなと(笑)。で、そこから僕が慌てるという。

―『MONKEY GIRL ―懺鉄拳ー (懺鉄拳の懺は懺悔の懺)』や『あなたにサラダ以外も』など、かつての楽曲のその後をイメージさせるような曲も入っていますね。

これは吉田が25周年を迎えてのオリジナルアルバムにはこういう楽曲を入れたらファンの方が喜ぶだろうと。そして、またこのシリーズを初めて聴いた方もそのストーリーに気づいて過去の曲にもふれてもらえたら嬉しいですね。

25年のキャリアで一番難しかったATTACK25ツアーのステージ

ATTACK25ツアー

―そして夏には、アルバムツアーを敢行。今回は80メートルの長さに12面すべてが正面という前代未聞のステージが話題となりましたが。

演出的には普通のステージよりはるかに難しかったです。お客様にとっては最高だけど、演者側からすると12面すべての演出を考えなくてはならないですからね。すべての演出を手掛ける吉田も苦戦していたし、25年のキャリアの中で一番難しいステージだという話は(二人で)よくしていましたね。

―ファンの反応は?

1996年に似たようなステージをやったんだけど、「どこを見ていいかわからなかった」という声がとても多かったんです。今回はステージの一点を見ていても、アリーナから全体を見渡しても楽しい、でもフォーカスはずれないように注意したので。96年の長いステージよりは遥かに反応は良かったと思います。アリーナによっては、ほんの2メートル先にお客さんがいるということも。どんなセッティングでもお客さんの顔は見えるんだけど、今回は特によく見えましたね。

―オープニング3曲はデビューライヴと同じセットリストで。

ファーストアルバムとニューアルバムをいったりきたりの構成でしたが、前半はファーストアルバムとゆかりの深いロンドンの雰囲気を出そうと。ファーストアルバムの曲は、実は生で聴いたことのある方はほとんどいなくて、いても数千人かな。それを改めて聴いていただけるのは嬉しかったですね。

―ツアーには、ダチョウ倶楽部の肥後さんや浅田真央さん、吉田沙保里さんやプロ野球選手の本田選手や内川選手などもいらしていたんですよね。肥後さんはステージにも登場されたのだとか。

来場した著名人の方々にはもちろん紹介の許可をとらせて頂いてご紹介しましたが、会場に来ているお客様とその喜びをシェアしたいというのがあって。肥後さんは本当にお世話になってるんだけど、この日は開演5分前に出演をお願いして。だから、吉田は知らなかったんですよ。吉田はゲストをいつも知りたがらないんです、緊張しちゃうから。

―バッキングヴォーカルでFUNK THE PEANUTSでもあった浦嶋りんこさんの登場もあり。

そう、久々の7年ぶりに。25周年ということもあり、ファンの皆さんにもとても人気のある方なので、参加して頂きました。吉田はいろんな意味でキャストを引っ張っていかなければならないのですが、りんこさんがいれば阿吽の呼吸といいますか、吉田はすごく助かっていましたね。